双極性障害と診断されてから、私の波のように大きく揺れてきました。
元気なときは何でもできそうなのに、ふとした瞬間に全てが嫌になってしまう。
そんな自分を受け入れられずに、ずっと一人で戦ってきたように思います。
そんな私のもとに、小さな命がやってきました。愛犬を迎えたあの日から、私の生活には少しだけ”決まったリズム”と”小さな希望”が生まれました。
今日は、双極性障害を抱えた私が愛犬を迎えた日のこと、そして一緒に過ごす中で感じたことを、ここに残しておこうと思います。
愛犬を迎えようと思ったきっかけ
今の夫と結婚して2年後に私は、「うつ病」と診断を受け、その1ヶ月後に「双極性障害」と病名が変わりました。
診断を受ける前の夫婦生活はそこそこ幸せだったはずなのに、病気になってから夫婦間にぽっこり穴が空いて、夫婦喧嘩が絶えなくなってしまった…
今までは、話し合いをすれば解決できていたのに、その日で解決することができず2日かかったりと…互いに神経がすり減ることも多々ありました。
このままじゃ夫婦として終わってしまうことの恐怖が自分を襲いました。
そのときにふと動物がいたら…と考えるようになって私は小さい頃から動物がいる環境にで育っていたので、そのことが頭をよぎったのです。
「動物が家にいることで夫婦としてまた上手くいくのかな?」
と考えることもありました。
その反面、こんな自分が動物を飼うなんて無理だろうとも、思っていました。
体調の波が大きい私にはお世話ができる自信なんてないし、そんな不安ばかりが頭をよぎっていました。
でも、ある日にふとしたきっかけで、ふらっと立ち寄ったペットショップで小さな子犬と目があったんです。
あのつぶらな瞳を見た瞬間、心の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じたんです。
その時に私は、「この子と一緒に暮らしてみたい」
その思いが、私にとっては大きな一歩で、これが愛犬との出会いでした。
お出迎えした日

お出迎えしてからすぐに甘えてくれました

なぜ不安だったのに決断できたのか
私が、愛犬をお出迎えしたのは、「双極性障害」と診断を受けた直後のことです。
診断の直後は、人生の中でも一番といっていいほど、落ち込んでもいたし、頭が真っ白の状態でした。
そんな状態だったからこそ、癒される場所に行きたくて行きたくて、夫と色んなペットショップをハシゴしました。
そうすると、とあるペットショップで私と違って元気に満ち溢れた子犬がいたんです。それが今の愛犬で、眺めていると、込み上げてくる感情がありました。
それは、”生きる”ということ。
この子に出会うまで絶望感で頭がいっぱいで、ものすごく苦しかった。だけど、生きる希望や意味を教えてくれた気がしたんです。
「このままじゃだめだ、自分の病気と真正面から向き合わなきゃ、こんな小さな子に負けない」と。
小さいながらに小さな命の温かさに、心が動かされたことが決断のきっかけです。
心の中に芽生えた小さな勇気
愛犬を迎えるなんて、昔の私には考えられないことだったし、想像もしていませんでした。
今でも双極性障害の波に翻弄される毎日で、自分のことでさえ精一杯なのに、ましてや小さな命を守り続けるなんて、本当にできるのだろうか。
そう思い続けると、不安のほうがずっと大きくて、何度も諦めかけていました。
でも、あるときふと気づいたんです。
「完璧じゃなくてもいい」「もし無理なときは誰かに助けてもらってもいい」
そう思えたのは、周りの人に「一人で全部を背負う必要はないよ」と言ってもらえたからでした。
そして、初めて会った愛犬のつぶらな瞳に見つめられた瞬間、心の奥がほんの少しだけ温かくなるのを感じたんです。
「こんな私でもこの子と一緒に生きていきたい」と。
もちろん、勇気と言えるほど大きなものではありませんでした。
だけど、小さな勇気がこの子と出会ったことで芽生えました。その小さな勇気が芽生えたことで、私は「できない理由」よりも「どうすればできるか」を少しずつ考えられるようになりました。
不安は今だにゼロにはならないけれど、その小さな勇気は今も私の心を支えてくれています。
愛犬との暮らしが教えてくれたこと
孤独感を忘れさせてくれる小さな存在
双極性障害を患ってから、周りに人がいたとしてもふとした瞬間に強い孤独感に襲われることがあります。
この孤独感って、ことに誰にも理解されない気がして、自分の居場所がないように感じてしまう…
そんな時間が、私には何度もあってものすごく苦しい。
でも、愛犬と暮らすようになってから、ふとした孤独感に襲われる時間も少しずつ減っていきました。
この子は、何も言葉を返してくれるわけじゃないのに…けれど、そっと隣に座ってくれるだけで私の「一人じゃないんだ」という気持ちを思い出させてくれます。
悲しくて泣いているときも、黙って体を寄せてきてくれる。
その小さな温もりに触れるたびに、私の心はほんの少し軽くなるのです。
愛犬が一緒にいてくれるだけで、孤独感を忘れさせてくれる、そんな小さな存在に、どれだけ救われているか分かりません。
散歩に行く理由が、私を外に連れ出してくれる
この病気になってから、外出の頻度は半分に減りました。
その大きな要因は、人と関わることが怖くなったこと。これまでは、社交的な性格で人と色んなお話をすることが好きで、友達からは明るくて一緒にいると笑顔になれると言われることが多くて、今はそれが出来なくなりました。
愛犬をお迎えしたことで、外に出る頻度を増やしてくれました。
愛犬は小さい頃からお散歩が大好きで、家の玄関を出ると猛ダッシュで走り回るんです。その姿は…私にとっていちばんの癒しです。
お散歩に行きたいモードになると、「2方立ちで行こうよ〜」と訴えてくるんです。
我が子が喜んでくれる姿は、私が外に出たくない気持ちを忘れさせてくれる!
愛犬がくれる小さな喜びをこれからも大事にしたいです。
辛い日は、無理に笑わなくてもそばにいてくれる
私は、双極性障害という気分の波が激しく襲う病気。
双極性障害には、一型と二型と種類があって私は一型です。
1日の中で躁と鬱が激しく交差するときもあって、大きな声で暴言を吐いたり、当然泣き崩れることも多々あります。
愛犬がいるからこそ大きな物音を立てると、犬にとって不安感やストレスを与えてしまうことは分かっていても自分を止められないんです。それが本当に苦しいんです。
大きな声で暴言を吐いているときは、遠くでそっと私を見つめていて…
泣き崩れているときは、様子を伺いながら私の涙を必死に舐め続けてくれる…
「大丈夫だよ、泣かないで」
と、私に訴えかけてくれてるようでいつも涙が止まりません。
言葉は通じなくても、雰囲気で理解してくれる。
私は、この病気になってから苦しいことがたくさんあるけど、我が子と出会ってしんどいときに寄り添ってくれることで小さな光を照らしてくれてるから、少しずつ前向きになれているのかもしれません。
おわりに|ペットがくれた小さな希望
愛犬を迎える前に、私の毎日は「何のために生きているんだろう」と自分に問いかける毎日でした。
どんなに頑張っても、気分の波に飲まれてしまう自分が嫌で嫌で仕方なかったんです。
でも今は、完璧じゃなくても、調子が悪い日があっても、
小さな尻尾を振りながら近づいてくる存在がいるだけで、「今日も生きてて良かった」と思える瞬間があります。
もちろん、犬を迎えたからといって、全てが楽になるわけではありません。
辛い日は今もたくさんあるし、しんどい時にはお世話が負担になることもあります。
それでも、小さな命と暮らすことで、私は自分の中に「誰かのために起きる理由」をもらいました。
眠れない夜や、ひとりで泣いてしまう夜も、そっと寄り添ってくれる存在がいる。
それだけで救われることもあるし、今の私は知っています。
同じように孤独感や不安を抱えながら、ペットを迎えたいけど不安で踏み出せない人もいるかもしれません。
もしあなたが、「誰かと一緒に生きたい」と思ったときは、無理のない形で、小さな希望を探してみてください。
私のように、小さな命がそっと心の支えになるかもしれません。

最後まで読んでくださってありがとうございます。
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